みなさん、幸せを贈ってますか?
先日、物置き代わりに使っているロフトの整理をしていたら、懐かしい一枚のポストカードと埃をかぶった地球儀が出てきて、ちょっとセンチな気分になって涙ぐみ、涙腺がゆるくなったのは、やっぱり寄る年波のせいかな?とメランコリーな気分になったりする初夏のさわやかな日々が続きますが、みなさんにとって、一番の思い出の贈り物はなんですか?
もらってうれしい、うれしくない、というのはともかく、記憶に鮮明に残る贈り物ってありますよね。
塩辛い手作りのチョコレート、左右の腕の長さの違う手作りのリュックサック、左右の大きさの違う手作りの手ぶくろ、好きなミュージシャンのサイン入り写真集、「あなた、陰気臭いから」と贈られた七色に輝くネクタイ……。
最近、読んだ「ツイッターノミクス」という本で“ウッフィー”という言葉を知って、ふと、そんな贈り物のことを思い出してしまいました。
ウッフィーとは、SF小説「マジック・キングダムで落ちぶれて」の中で使われている市場価値のこと。この小説の中では、マジック・キングダムという理想郷での市場価値は貨幣ではなく、「信頼」とか「尊敬」とか「評価」。それを人はウッフィーを呼びます。
「ツイッターノミクス」の著者のタラ・ハントは、この著書でこれからのソーシャルネットワークでは、このウッフィー、つまり「信頼」「尊敬」「評価」が市場価値の軸になるというお話を展開しています。ウッフィーは人からの評判がポイント化されるという意味で、ヤフオクの評価や、はてな、マイミク数に似た市場価値ともいえそうです。
タラ・ハントは「でも、ウッフィーだけではメシは食えないでしょ」と言う懐疑派を一蹴します。否、むしろウッフィーなしではメシは食えないよ、と。彼女はソーシャルネットワークにおけるウッフィーの役割について書いていますが、じつはそれはソーシャルネットワークでなくとも、同じこと。人類が社会生活を営んできた太古から、「信頼」「尊敬」「評価」のない社会にお金は流れませんし、もちろん幸せも訪れません。
人はなぜ人に贈り物をするのか?
贈り物は贈る側の貨幣価値の観点に立てばマイナスでしかありません。しかし、人は「贈る」という行為に無形の価値を見出しているから、贈り物をします。贈り物はまさに「信頼」「尊敬」「評価」を具現化したもの。さらにはそこには「愛」という、「信頼」「尊敬」「評価」をも包括する大きな価値観が含まれていたりします。
私がふとロフトで見つけたポストカードと地球儀に思わず涙したのは、そこに失われたウッフィーを見つけたからにほかなりません。
地球儀は、とある誕生日、当時つき合っていた彼女から「これから一緒に旅行をした国をピンで留めていこうね」というメッセージとともにプレゼントされたものでした。「お互いじじばばになった時に、地球上がすべてピンで埋まっていたら壮観だね」と。私にとって、その地球儀という贈り物の価値は、もちろん地球儀自体にあるのではなく、地球儀に託されたメッセージにあります。
ポストカードは、2人が別れて間もない頃、遠い彼方の南アフリカから送られてきたものでした。「元気? こっちはすごい空が青いよ!」と託されたメッセージを受け、私はそのポストカードを地球儀の南アフリカにピンで留めて彼女の帰国を待ちました。ところが1か月経っても、彼女からの連絡はありません。改めてポストカードの消印を見ると、それは私たちが別れるずっと前(3か以上月前!)に、送られていたものでした。それが海外の郵便事情です(その後、彼女からポストカードが届いたのは1年後——結婚の知らせでした)。
みなさん、幸せを贈ってますか?
喜び、笑い、怒り、哀しみ、泣く——そんな思いを人と分かち合った日々、それは思い出となればいつも幸せの一形態になります。
ウッフィーは、人と人が幸せを交換する通貨とも言えますが、ソーシャルネットワークにおけるウッフィーは、不特定多数と不特定多数が幸せを交換できることを示唆しています。まさにわらしべ長者の現代版です。ウッフィーを育むことによって、お金がない人でも、孤独な人でも、年老いた人でも、幸せをつかむ機会が増え、この地球上に幸せが増えるのは、とってもステキなことだと思います。
ソーシャルネットワークにおいてウッフィー(無形の価値)を創出し、その架け橋となる——そして、より多くの人が幸せを感じる——仕事を通じて、そんな贈り物ができたらいいなあ——それが私のソリューション。
なんて、営業トークにこじつけるのもどうかと思いますが、たった一行の言葉や、たった一枚のポストカードが、かけがえのない価値を持つことだってありますからね。
今週の推薦曲

「We Are The World」








