ジョージ・カーリンというアメリカのコメディアンが 、昨年、71歳で亡くなりました。
米国の体制を痛烈に批判するその毒舌ぶりで知られていた彼は、もう一方で、「ヴジャデ」という奇妙な言葉を残したことでも知られています。
この耳慣れない言葉は「デジャヴ」を逆さまにした造語で、「何度も体験してるのに、はじめて見ることのように感じる」といったことを意味します。
このコメディアン、こんな造語を使って「だれもが知っているけれどもだれも気付いていないことを見せると、人は笑う」ということを説明したんですね。
さて、この「ヴジャデ」という言葉、デザインファーム IDEOのトム・ケリーが『イノベーションの達人!』で使用したことにより広く知られるようになったようですが【※】、我々デザイナーに対しても、物事を見るうえで非常に大切なことを教えています。
すなわち、「いつも経験していることに対し、常に新しい見方ができるかどうか」―――
このベーシックな視点の持ち方は、言葉のシンプルさとは裏腹に、その実践がなかなか容易ではありません。その困難さは、何人かのデザイナーたちが、同じことを違う言葉で繰り返し発言していることからもわかります。
たとえば原研哉さんは「日常の未知化」という言葉を使い、先駆的なプロダクトデザイナーであり教育者でもあるアッキレ・カスティリオーニは、「自らを批判する能力」という表現で伝えています。
少し長くなりますが、ここではカスティリオーニの、学生たちに宛てた手紙の中からこんな言葉を引用します。
好奇心がないなら(デザインなんて)おやめなさい。他の人々のこと、彼らのすること、その行動に興味を持てないようならデザインはあなたたちの職業ではありません。
(中略)
路上、映画館、テレビ、そういったところで、人々のごく当たり前な身振りや慣習順応的態度、人が気にも止めないようなフォルムを批評的な目をもって観察することを我々は学ぶのです。それらとは違う何かができるし、またそうするべきであるということを理解するために。
良いプロジェクト(デザイン)とは、(中略)あなた達がデザインしたものを使うことになる見ず知らずの人々とほんの些細なことでもいいから経験を取り交わそうという、その気持ちから生まれるのです。
(中略)今日の学生たちに理解してもらいたいのは、デザインが真に問題にすべきものは、生活行為の中にある間違いや逸脱の中に見い出せるはずだということなのです。
―――「学生たちへの助言」(多木陽介『アッキレ・カスティリオーニ 自由の探求としてのデザイン』(AXIS)収録)より抜粋
一見何でもないものや人々の身振りの中に、どれほどの過ちの蓄積があるのか―――。見慣れたものを、習慣として片付けないこと。「わかった」と終わらせないこと。
それがデザイナーになるための第一歩であると、彼らの言葉は教えてくれます。
【※】棚橋弘季『デザイン思考の仕事術』(日本実業出版社)より


